クリープハイプに裏切られた。そんな気持ちになった。移籍騒動があって武道館後にシングルが出ると聞いたとき社会の窓の“オリコン初登場7位その瞬間にあのバンドは終わった だってあたしのこの気持ちは絶対シングルカットできないし”みたいな“曲も演奏もすごくいいのに なんかあの声が受け付けない”みたいなそんな毒のある曲なんじゃないかと思った人は少なくないだろう。実際武道館の1日目では寝癖を歌い終わった後「社会の窓みたいな曲だと思ってたでしょ?もうあんな曲は歌いません!」といい2日目では“初めましてビクターからユニバーサルシグマに移籍しました”という歌詞から始まる強烈な“ラブソング”を歌ってくれたのだけれども。武道館で歌われた新曲は全然そんな曲じゃなくて、ライブで盛り上がるHE IS MINEみたいな曲じゃないし、社会の窓みたいな強烈な毒もないけれど、すごくクリープハイプらしい左耳みたいな彼らにとって重要な曲になっただろう。社会の窓みたいな曲でもよかったかもしれないけど、私はこの曲で彼らが「俺たちこんなもんじゃないんだよ」ということを見せてくれたような気がした。
この曲のMVは武道館で流れた映像から話がつながっている。別に悲しい話じゃないけどすごく切なくなる。気づいてないふりをする 気づいてないふりのきみに気づいてないふりをするということはお互いの気持ちに気づいてるのにお互い言わないということ。2回目のサビに入る前彼氏の寝癖がなおらないのを見て彼女が微笑むシーンは今の関係に幸せを感じているのかなって思った。ドライヤーの音が消えたらもう行かなくちゃいけない、いよいよ別れのときってこと。私はこの3カ所がこの曲、このMVの重要な部分だと思う。別れることになったふたりだけど、今までの関係はやっぱり幸せでお互い別れたくないし、お互いに相手の気持ちに気づいてるけどお互い言い出せなくて。結局もう行かなくちゃいけなくなってしまった。でもこの曲は変わらないことばかりじゃなく変わっていくことへの気持ちの変化を歌っている。変わりたくないと願いながら変わっていくことへともがいているように感じた。「もうこれでやめようかな もうこれで決めようかな」は気持ちの戸惑いを感じるし、「いつも同じシャンプーの匂い いつも同じリンスの匂い」だったけど「ドライヤーの音」は消えてしまう=終わってしまう訳で。そんな気持ちの葛藤、すごく幸せだったけど、もう変わる時期なのかなっていうこと。変わることは怖いことだからずっとここにいてねという最後に印象的なフレーズか生まれたのではないだろうか。
Text by Shu Saito
今回のシングルの中にインディーズの頃からある“ねがいり”という曲が入っている。ねがいりというタイトルは「寝返り」と「願い」をかけているのではないかと思った。すごく身近に感じられる曲で、このとき尾崎世界観が思っていたことと、今寝癖で思っていることは同じなのではないかと思う。このふたりの何気ない日常が続くことこそが願いであり、でもそれが難しいことだからこそ寝返りをうつ度、つまり簡単なことで大事なものがこぼれていってしまう。ねがいりのふたりと寝癖のふたりは似ている。別れるってことになってこれからどうなるのか不安で、言ってくれれば別れなくてもいいのにその一言が言えなくて、その気持ちごまかしている。そんなふたりの歌と、いつも同じ生活を送っているようで実は大切なものが手から滑り落ちていく。変わらないからいつの間にか大切なものをなくしてしまったふたりの歌。自分は同じ生活をしているのに相手は願いを叶えていくからいつ間にか気づかないうちに別れてしまう。寝返りを打つというのは時間が経っていくことを意味するのではないだろうか。
これは尾崎世界観、クリープハイプとファンとの関係なのか、それとも彼らと音楽との関係なのか。よく尾崎世界観は離れないでください、みんなの中の一番でいたいと言っている。先日ラジオで尾崎は「負けててよかった」と言っていた。負けていたからこそ離れていくことを恐れるけど、大切なものを大切にできるのだろう。彼らはそのために成長しているからこそ私たちは昔のままを望むのではなく、変わることが必要なのではないだろうか。
Text by Shu Saito
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