2014年5月30日金曜日

VIVA LA ROCK 2014


VIVA LA ROCKは今年初めて行われた室内型ロックフェスで、とにかく音楽への愛が伝わってくるフェスだった。これから何年も続いていくフェスになると思う。きっとどのフェスの1年目よりも充実した、愛のこもった空間になっていただろう。このフェスはRIGFやROCKS TOKYOなどのフェスを手掛けたMUSICA元編集長の鹿野淳が手掛けているのだが、このフェスが成功したのも、こんなにも愛のあふれた空間になったのもすべてこの人のおかげだろう。このフェスは他の邦楽中心のフェス、例えばRIJFや室内で行われるCDJ同時期に開催されるメトロックとは大きく違ういくつかの試みがあった。

2014年5月29日木曜日

クリープハイプの本音


 クリープハイプに裏切られた。そんな気持ちになった。移籍騒動があって武道館後にシングルが出ると聞いたとき社会の窓のオリコン初登場7位その瞬間にあのバンドは終わった だってあたしのこの気持ちは絶対シングルカットできないしみたいな曲も演奏もすごくいいのに なんかあの声が受け付けないみたいなそんな毒のある曲なんじゃないかと思った人は少なくないだろう。実際武道館の1日目では寝癖を歌い終わった後「社会の窓みたいな曲だと思ってたでしょ?もうあんな曲は歌いません!」といい2日目では初めましてビクターからユニバーサルシグマに移籍しましたという歌詞から始まる強烈なラブソングを歌ってくれたのだけれども。武道館で歌われた新曲は全然そんな曲じゃなくて、ライブで盛り上がるHE IS MINEみたいな曲じゃないし、社会の窓みたいな強烈な毒もないけれど、すごくクリープハイプらしい左耳みたいな彼らにとって重要な曲になっただろう。社会の窓みたいな曲でもよかったかもしれないけど、私はこの曲で彼らが「俺たちこんなもんじゃないんだよ」ということを見せてくれたような気がした。
 

2014年2月26日水曜日

今だからこその岡村靖幸(後編) ――さとり世代の「ビバナミダ」編

前編・〈バブル世代の「どぉなっちゃってんだよ」編〉はこちらから




 そんな中、昨年2013年の流行語に「さとり世代」という言葉がノミネートされた。出自には様々な説があるが、近年の若い人々が欲を持たなくなったことを揶揄して用いられる言葉である。僕自身も1990年生まれであるので、そんな人間がいわゆる〈昨今の若者〉論を語るのにはある種の難しさが付きまとってしまうが、アンケートによると、最近の若者、それも20歳前後の若者はモノや人間関係に対する欲求が無くなってきている、という結果が出ているようだ。物心ついた時から現在に至るまで不景気だ不景気だと言われて育ち、〈失われた10年〉と言われていた時代はいつの間にか〈失われた20年〉にランクアップしている。僕たちは失われた時代に生き、逆に失われていない時代に何が失われていなかったのかすら知らない世代である。さとり世代とはそんな不景気で将来の希望が持てない時代に育ち、たくさんモノを持つことも求めず、休日は金のかからない自宅周辺で過ごし、恋愛は面倒だから同性の友達と遊んでいればいいじゃん、といった発想を持つ世代を指している。「ゆとり世代」の次の世代を指す、と言われるなど解釈は様々だが、僕は「ゆとり世代」と「さとり世代」はほとんど同じ世代を指していると思っている。

 多くの方は気づいていると思うが、現在のさとり世代は多くの点でバブル世代とは正反対だ。彼らは所有を求めず、ステータスを求めず、人間関係、言ってしまえば異性を求めない。車の助手席に女の子を載せてスキーやサーフィンに出かけていくバブル期の男性と比較すると、さとり世代の人々は、ひょっとすると肩に小鳥でもとまるのではないか、といった印象がある。エネルギッシュなバブル世代に対して、さとり世代がさとりたる所以は、彼らがひたすら省エネな生活をしていることに由来している。リアルタイムを知らない僕がバブル世代の人間に対して酷い偏見を抱いているのかもしれないが、それを差し引いても二十数年で若者のメンタリティは、欲求の世代から無理をしない世代を経て、欲求しない世代へとなかなか大胆に変化してしまった。


2014年2月24日月曜日

クリープハイプUstreamで思うこと


2月22日0:00
私はクリープハイプのファンとしてクリープハイプというバンドは
ただ単純に最高で
ただ単純にかっこよくて
ただ単純に最高にロックだな
と思った。
いい意味でとても怖かった。

今回のUstreamは、クリープハイプが好きとか嫌いとかそんなはこと関係なく、音楽が好きな人は、いや、そうでない人も、とにかくみるべきだと思った。とにかく気合いが入っていて、気持ちがこもっていて、誰が見ても熱いものを感じたのではないだろうか。

2014年2月21日金曜日

今だからこその岡村靖幸(前編) ――バブル世代の「どぉなっちゃってんだよ」編




 ポップスに限らず、世間の至る所に〈あるがまま〉原理主義が広がって久しい。自分らしく生きていきたいという歌詞が愛され、書店の平積みには無理をせず生きていくためのハウツー本が並べられている。誰もが自分らしく無理をせず、頑張らずに生きていきたい。思い切って、一億総あるがまま社会、と言い切ってしまいたいくらいだ。しかしこういった〈あるがまま〉原理主義の裏で、恐らく周りの人に受け入れてもらえないであろうありのままの自分をひた隠しにし、無理をして別の自分を作り生きている人がいるのも事実であり、それ以上にあるがままで生きている人々のシワ寄せを受けている人ももしかしたらどこかでこっそりと生きているかもしれない。〈あるがまま〉原理主義は、飾らない本来の自分を見せても誰からも愛してもらえるだろうと思っている人のためにある言説なのだと僕は思っている。それに比べて、しっかり化粧をして小奇麗な服に身を包み、他人もしくは自分のために自らをばっちり整えた上で「ナチュラル系」を称する女性向けファッション誌の方がよっぽど好感が持てる。理想と現実のギャップに悩む人々に、誰もが、今のままでいいじゃないか、と言う。違う違う、そうじゃない。あるがままの君が好きといくら言われても、あるがままの自分を、自分自身が好きになれないことが問題なのだ。このご時世、ナチュラルな自分が好きになれない人はどうやって生きていけばいい。

 今から20年以上前に生み出された岡村靖幸の楽曲に僕が惹かれたのは、そこには一切の現状肯定が存在していなかったからかもしれない。彼の楽曲で描かれる登場人物たちは、誰もが理想と現実のギャップに身をよじり、それでも理想とする姿に自分を近づけるために虚勢を張ることを厭わなかった

2013年11月17日日曜日

KANA-BOON -僕がステージに立ったら-


KANA-BOONワンマンライブ「僕がステージに立ったら」に行ってきた。今の編成になってから初のワンマンライブ。ミニアルバム「僕がCDを出したら」メジャーデビューシングル「盛者必衰の理、お断り」、フルアルバム「DOPPEL」現在流通しているCDに収録されている楽曲をすべて演奏するという何とも豪華なライブであった。今回のライブはKANA-BOONの歴史の中でも重要なライブになったことだろう。
 

2013年11月14日木曜日

BIGMAMA -We Don't Need a Time Machine- 1日目


BIGMAMAのライブWe Don't Need a Time Machine1日目に行ってきた。私は彼らの魔法にかかってしまったのかもしれない。金井の歌い方はなんかもうもはやアイドルなのではと思うくらいの時もあった。ハンドマイクを持ってしゃがんで客席と同じ目線に立ったりして本当に最高だった。お客さんを楽しませることがとても上手なバンドだと実感した。彼らのワンマンライブに行くのは初めてだったけど、これははまってしまうな。Lovescapeの歌詞を借りるなら「ライフル越しにのぞいた姿に打ち抜かれたのは僕の方 これを恋と呼ばずなんと呼ぶのかな」である。「僕はここにいる人たちのことを僕の人生をかけて幸せにします。」とか言われたらたまらないだろう。彼らは本当に自分たちのファンに母のような大きな愛がある。